2000年、神戸Aチーム「愛と勇気とカリスマのロボコン日記2000」より抜粋 10月28日(土) 明石高専に付いたのは12時頃。すでに来ていたのは奈良、大阪、舞鶴の3校だったと思う。 毎年最後に会場入りする神戸高専。今年はラストじゃなかったぞ。とりあえず昼食をとることに。 近くにある「天下一品」でラーメンを食べた。スープを「こってり」「中間」「あっさり」の3段階で指定できる。 こってりを注文したが、その名の通りめちゃめちゃこってりだった。何か作業に支障が出そう。 さっそくマシンの整備を開始。上昇部はネジなどを増し締めし、後残ってたことを片づけた。これより後、 上昇部は整備全く不要というその完璧なる完成度を見せつけることになる。Endeavorは、外してからまだ付けていなかっ た足まわりモーターをハンダ付け。そんな中、トーナメント抽選に行って来た。シードはもらえんかったし、 スタートコーナーは勝ち進むに連れて青-青-赤-青となかなか整備が面倒。しかも、1回戦の対戦相手がかなり の強豪であることが後に判明。とりあえず、青コーナーに合わせて前部アームを付け替え。そして、造形物B の申告書をざざっと書いて重量測定へ。横幅はギリギリセーフ。高さは結構余裕があった。 重量も箱船を乗せて24sほど。得点部Aの調整を続けていたが、とりあえずテストランをすることに。 トーナメント抽選の間、上昇部の締め部モーターのタイヤの儀式をやったらしい。 本番の1回戦同様青コーナーからスタート。ケーブルを足で踏んでしまいコネクタが抜けたりもした。 ちゃれんじろうと同じ事をやってしまった。本番じゃなくて良かった。得点部Aや、造形物Bの調整などをしつつ、 もう一度テストラン。課題がたくさん。ピットに戻り、学校のピロティから持ってきた坂をつかって坂を登る練習。 メンバーや先生も交えて何回も何回もやった。そして、この時も「坂にさしかかるとマシンが曲がる」という現象 が起きていたのだが、あまり突っ込んで議論はされなかった。皆、俺の操作ミスだと思っていたのだろうか? 俺は常に左右両方のスイッチを全開にしていた。今思えば、この時にこの問題をもっと深刻に扱っておくべき だったのだ。ま、それも過ぎたこと。その後は、大阪府立にポール(スポット付き)を借りて造形物Bを置く 練習。これも何度も何度もやった。 大阪府立の人たちは、なぜかとうじろうが造形物Bをスポットに置けたとき、ものすごく喜んでくれた。 みんな疲れているので(俺も限界だった)、その日はそれくらいで切り上げた。8時半頃。会場が閉められる のは9時だった。今日は休んだ方がいい!松田さんはずっとそれを言い続けてくれていた。家までの道のりは 遠い。連日の徹夜でたまった疲れがこの日に出た人も多かった。荻野さえも遅れて4時頃の到着だった。 奈良高専の藪上さんと色々話をした。ついでに家鴨のマスコットも見せてもらったりもした。 ビデオカメラを持って会場をぐるりと回って撮ってみたけど、あんまり意味はなかった。 NHKの全国大会担当の人がピットまで来て色々話を聞いていった。 なぜ刀なのかとか…。ちなみにその人、爆笑ロボコン日記を見て騙されたらしい。やっぱり思ってるより多く の人が読んでいるようだ。申し訳なく思う。 10月29日(日) 朝、ほんの少し寝坊した。でも、時間には間に合う程度のものだった。なのに…。西明石に着くと次の電車 が来るのは15分後!しかも、西明石に着くなり向かいのホームで電車が出ていった。最悪だ。 ところが次の電車の中には4人のメンバー達が・・・。で、めでたく予定より15分ほど遅れて5人は明石高専に到着。 早速得点部Aの調整。なかなか解決できない。それでもテストランを決行。やれるときにやっとかないとね。 2回目以降、テストランの時間は3分のみ。それにしても上昇部は完璧なのだ。1回昇って以来、昇ら ないということはない。3回目のテストランにもかかわらず、マシンが昇ったときに他校の見物人の中から「おおっ」 という声があがっていた。とても嬉しい。その後もひたすら調整。 ここらで昼食。食堂に行くと、松田さんが弁当係をやっていた。松田さんは神戸高専の人間ではないため、 本来なら弁当は支給されない。でも、余ったら貰えることになっていたらしい。いや、絶対余るって。今日も O濃さんやY田、A崎、S井らは来なかった。だから絶対余るはず。食事しながら松田さんと色々話をした。 「おちついてやれ」とか、ロボ研で松田さんがどのように話題になっているか、とか。OBになっても、頻繁に 話題にのぼるという事についてはとても喜んでいた。しかし、主に○○○○ネタで話題になっていることを 知るとショックを受けていた。12時半には会場に戻らなければならなかったので、弁当を持って戻った。でも 特に何か集まりがあるわけでもなかったので、体育館の外で弁当の続きを食べた。(会場は飲食禁止)横には 大阪府立の人たちがいて、ペットボトルロケットの実験をしていた。何かものすごく居づらかった。 昼食後、開会式。入場の時のパフォーマンスについてダメ出しされてしまった。 リハでは、Aチームリーダーが刀コンで斬りつけてる残り5人がバタバタ倒れる・・というように、 当初の予定通りやった。それがダメとな?これ以上のネタはもうないぞ?「えぇ?(ものすごく嫌 そうな顔で)あれやるんですか?」と言われた。 関西人として危機的状況に立たされたが、今さら新ネタを思いつくはずもなし。それに、ダメ出しを出した人 に腹が立ったので、結局同じネタをすることにした。刀コンを持って入場。歩くの遅いって。そんな状態で手 を大きく振れるかい。例年通り、長い開会式だ。しかも、その直前の和太鼓、長すぎ。待つ時間が勿体ない。 和太鼓のリハでは振動のせいで、数々の工具やネジが台から勝手に落下したものだ。はい。開会式終わり。 開会式が終わり、ピットへと戻る。早くも試合は始まりかけていた。少し早いが、念を入れてマシンの動作 確認をしてみた。すると、足まわりがやたらパワーがない。「何で?これでは坂を上れない!」と思っていた ら、今度は止まってしまった。コネクタやリミットスイッチに異常はない。バッテリーもフル充電した。こう いうときの原因として考えられるのは・・・断線、もしくはショート!そこでケーブルを触ってみると・・・ 熱い!まさか焼けた!?しかも、あちこちで。仕方なく、一番熱い部分の外皮膜を切り開いてみると、ものの 見事に1本1本のケーブル皮膜が溶けてくっついていた。これは1カ所だけではないだろう。熱い部分は他にも ある。そこでも同じようなことが起こっているのかもしれない。どうすればいい?溶けている部分を、片っ端 から直していくか?しかし、それでは再びどこかが焼けるかもしれない。この緊急事態を回避する方法が あるのだろうか?「まさか、これで終わるのか?」誰もがそう思ったと思う。自分もそう思った。解決方法を 探りつつも、心のどこかであきらめかけている。あまりにも時間がさなすぎるのだ。半年という時間をかけて 創り上げたマシンは、動くことなく終わってしまうのか?考えてもみなかった結末に戸惑うばかり。しかし、 最後まで諦めることは許されない。誰が言ったのだろう、「ケーブルを別の線にすれば」今さら、コネクタに 1本1本別のケーブルをつなげることは出来ない。それなら、コネクタから少し先を両方ブッたぎって、その間 を別のケーブルでつなげばいい。もうこれしかない。予備のリード線を用意。しかし、足りるだろうか。 1b程の長さで6本とってみた。1本分足りない!もうリード線はないはず。 しかし…そう、簡易コントローラに使っていた分があった。簡易コントローラのケーブルは継ぎ足したことも あって結構長い。容赦なくこれも切る。6本調達完了。これを1本1本つないでいけばいいはず。この時修繕に 関わっていたのは主に直原、安宅さんそして児山、という正メンバー3人だった。他のメンバーはテープ を切ったり、我々の要求する工具のパシリをしてくれた。時間がない。リード線の接続に直原はハンダ ごてを使っていたが、安宅さんと俺はビニールテープでつないでいた。その時が一番手際が良かった。完璧な チームプレイだった。元のケーブルが色分けされていたのも幸いした。もう自分たちでも信じられないくらいの手際。 恐ろしい速さだ。さっきからNHKの人が「もう出番ですよ!」と何回も来たのだが、完全無視。 すでにマシン自体はフィールドの横に運ばれていた。スタート前チェックは任せておいた。もう完全に任せられた。 みんなを信用している?違う。信頼だ。 接続完了。急いでフィールドに向かう。丁度前の試合が終わったところだって。ギリギリセーフ(死語)。 マシンがフィールドに運び込まれる。観衆は我々が今絶体絶命の危機に陥っていた事を 知らない。あ、もしかしてさっきの状況NHKに撮られてたかも…。それはいいとして、いざコネクタをマシン に差し込んでみる。これで動かなければもう時間はない。遅れてスタートすることもできるが、時間内に修復 できる望みは薄い。一番怖いのは、ケーブルをつなぐときに色を間違えていることだ。スイッチを入れと・・ 動く!全て完璧だ。振り返ってAチームのメンバー達に向かってガッツポーズをした。皆飛び上がって喜んだ。 もう、試合前から勝ったような気分である。残りのセットアップ時間内で他のチェック事項もチェックした。 問題はない。時間が余ってしまったほどだ。もっとも、相手側の近畿大学高専「フュージョン21」もすでに セットを終えている。一息ついた。あの時間内でこの危機を乗り越えたられことが信じられないくらいだ。 安宅さんは「落ち着けよ」と言った。しかし、ほんのちょっと前までにもっと焦るべき事があったのだ。自分 でも不思議なくらい、かえって落ち着き払っていた。ふぅ、とまた一息。会場を見上げてみる。ロボコンを夢 見始めたのはいったいいつ頃だっただろう。長い時間だったが、ついに大会本番、操縦者としてフィールドに 立つことが出来た。まさか、最後の最後に危機が訪れて、こんなに焦るとは思ってもなかったけど。メンバー を振り返って、なぜかうなずく自分。どこからともなく沸き上がる自信に包まれていた。それは決してこの 試合勝てると思ったからではない。今まで自分がメンバーと共にやってきたこと、それが何よりも誇れると 思ったからに違いない。とうじろうがどこまで動いてくれるかは分からない。しかし今、残してきたと思う物 は何もない。後やるべき事は一つだけ。 カウントが始まる…。無心。だが周りははっきりと見えていた。「スタート」という声、マシンをスタート させる。速い。なぜか今まででも最高の速さだ。操縦も完璧だと自分でも思った。スムーズにハシゴをよけ、 段差の少し手前で一旦停止。そして、一気に坂をかけ昇る…。
自分は緊張に対して開き直れる人間だと思っていた。事実、この試合においても、ほとんど緊張はしていな
かった。周りが見えなくなるかもしれない等とも思ってはいたが、現実は思っていたよりも現実的だった。
普段の生活と変わらない、リアルな世界。そしてそこで起こったことも、又ひどく現実的なものとして、自分
はとらえていた。 タージンが叫ぶ。「とうじろうについてのコメントは沢山用意したのに!」嬉しいのだが、もはや苦笑する ばかりである。しかし、試合前には一度臨死したマシンだ。ここまで動いただけでも上出来ではないか。自分 でそう言い聞かせた。いや、本心だったかもしれない。高さ10p。角度にして20度。そのわずかな段差に、 とうじろうは全てを阻まれた。テストランでも起こっていたことである。そこで自分はなぜかオーバーリアクション。 演技ではない。涙は出なかった。責任もほとんど感じていなかった。そりゃ少しは感じていたけれど、このマシン はメンバー全員で創り上げたマシンだ、そう信じていたから、1人の失敗は全員の失敗。1箇所の不備は全員の 不備。そう思っている。転倒の原因。それは操縦にあり、足まわりにあり、形状設計にあり、そして穴をつぶ せなかったメンバーにあり。安宅さんが俺の肩に手をかけた。「しゃーない」その通りだ。もう過ぎたことな のだ。それにしてもあっという間に過ぎてしまったものだ。自分でも不思議なくらいあっさりしている。現実 を疑いもしなかった。残りの時間、何を考えていたかは、もう知る由もない。 試合は近畿大学高専「フュージョン21」が確実に造形物を置き、PPはならなかったものの勝利を収めた。 とうじろうは実際はどういう動きをするのかデモをすることになった。2年連続デモ。再スタート。段差は難無く越え ることが出来た。さっきの転倒は何だったんだろう。そしてアーム展開。マシンを回転させるが、 全てのポールにアームが引っかからない。転倒の際にフレームが歪んでいるようだ。 あまり時間を喰っては申し訳ないので、アームを引っかけないまま上昇。相変わらず上昇部は 好調だった。そして造形物Bも置くことが出来た。さらに、造形物Aも置いていく。ポールに 引っかけていないため、後部アームは垂れ下がっている。それを手で持ち上げて、<木>を置く。<朱鷺>の 方はやはり距離があっていない。のせることは出来なかった。しかし、タージンが造形物とメッセージの解説 をしてくれた。最後に拍手をもらったとき、刀コンを持った手を高々と挙げた。勝ってはいない。善戦した わけでもない。端から見れば、何も良いところはなかった。しかし、観客には分からなくても良い。自分と メンバー達は分かっている。自分の気持ちに正直にガッツポーズをした。今年もまた、負けてもガッツポーズ を出来るマシンを創れたことを嬉しく思う。我々が会場ですることは終わった。後は引き上げるのみ。 ピットへ戻る途中、気が重かった。フィールドではピットの方を振り返ることは出来なかった。マシン撤収 もいつも通りだった。それ故、周囲の反応が怖かった。しかし、もうどんな反応だったかも覚えていない。 みんな気を使ってくれていたかもしれない。だが、それを自分がどう捉えていたかはその時しか分からない。 土居先生はこう言った。「リベンジは任せとけ」そう、後は土居っちらんどを応援するのみである。体育館の 隅、学校から持ってきた段の上に再びとうじろうは戻った。「よう頑張った。」と言ってくれる人がたくさん いた。自分はそれにうなずくだけ。しかしそれは本心だった。テレビカメラが我々を映している。吉村先生が 溶けたケーブルを手にトラブルを説明していた。NHKは敗者を撮るのが好きだ。しかし、我々は敗者ではない。 今、皆に言わなければならないことがある。なんだろう?声にならない。とうじろうにそっと手をかけた。 そして、自分たちが創り上げた物をもう一度隅々まで見てみた。残してきた物がないわけではなかった。まだ まだだった。何も考えられない。しかし何も考えなくても、マシンの各部を見るだけで過ぎ去った光景が次々 と浮かんできた。涙は正直だった。顔を手で隠し、その場を離れた。
体育館隅の出口近くまで来た。自分は泣かないんだろうと思っていた。しかし目には溢れるものがあった。
なぜ?もう分かっていた。その製作期間が何よりも楽しかったから、何より感動したから。その涙という形に
悔しさを重ねて──壁を叩く。安宅さんに連れられ、外へ出た。手すりに手をかけ、ずっと下を向くだけ。
ゼッケンを付けたままだった事を忘れていて、誰かが取りに来た。横に荻野も来た。2人してまだ上を向けな
かった。荻野がここまで頑張っていた事が嬉しかったが、それと同時に申し訳なかった。何分下を向いていた
のだろう。ようやく落ち着いて上を見ることが出来た。目の前は道路と歩道。道行く人が不思議そうな顔で2人
の目が赤い男を見る。又も苦笑するばかりだ。でも、恥ずかしくはない。言わなければならない言葉。まずは
荻野に言った。 フィールドでは第2試合が始まっていた。土居っちらんどは子機をスポットにのせるところまでは行ったものの、 造形物を置くことが出来ず敗退した。その後は、他のマシンの戦いを観戦するのみ。しかし、ここで一つ思い出した。 「審査員推薦があった」 だが、よくよく考えてみると、1回戦転倒負けでしかもテストランでもPPを決めたことのないマシンが推薦を もらえるはずもない。とうじろうがパフォーマンス賞をもらえるはずがない。そして、アイディアでは 「家鴨軍曹」と「Pole Position」という強烈な個性を持ったマシンがある。現実的に無理だろう?それでも、 可能性がある限り、それへの期待を絶ちきることは出来なかった。いや、全国出場でなくても良い。何か賞が 欲しかった。技術賞ならもらえるかな?今年自分たちが創り上げたマシンに対して、なんでも良い。何らかの 結果が欲しかった。全国出場であれば申し分ない。ものすごい欲張りだ。1回戦負けなのに。それでも、たとえ 試合結果が最悪であっても、結果が欲しい。でないと──自分たちの努力が、とうじろうが消えてしまいそう だったから──。 決勝戦が終わり、優勝マシン──全国出場マシンが1つ決定した。ところが、表彰式までには思いも寄らない ほどの間があった。なんでも審査が難航しているらしい。試合が終わって追いつめられるものはなかったので 、色々な人と今まで忙しくて出来なかった話をしたかった。そうだ。大阪府立の五十嵐さんはまだ話しをしていない。 それっぽい人はいたけど、いまいち分からん。そこで藪さんに遭遇。話の中で、そのことを言ってみた。 すると五十嵐さんの所まで案内してくれた。改めて、ポール&スポットを貸していただいたお礼を言う。 数人の大阪の人も交えて色々話をした。刀コンが思いの外人気で、「Pole Position」の傘コンとトレードされそうになった。 とりあえず、スイッチの少なさでは周囲の度肝を抜いた。さて、表彰式が始まる。 表彰式の進み方は前日に聞いてはいたけど、いまいちよう分からん。技術賞の発表。 賞がもらえるとしたらこれしかないかな?頼む…技術賞…。「技術賞は…大阪府立高専…」だめだ… 終わった。しかし、推薦はまだある…等と思った。ところが「失礼。神戸高専Aチーム『とうじろう』です。」 「おいっ!」不意打ちだ。でも、そんなことより喜びの方が増していた。 前に出て「たて」を受け取った。結果は与えられた。とうじろうは、我々の努力は結果として残った。マシン の強さではなく、マシン自体が評価された。観客席にAチームのメンバー達の姿が見える。去年は心の底から 手を挙げることが出来た。今思えば、それはある意味でひどく個人的な物だったかもしれない。今年は手に 「たて」を持っている。心の底からガッツポーズをしよう。そして、努力の証を見せたかった。他でもない、 とうじろうのメンバー達に。「たて」を両手で高く上げた。 とうじろう。近畿大会1回戦転倒負けマシン。前日、当日PP無し。しかし、技術賞。見ている人が我々をどう 思っていても良い。個人的には賞に値するだけのマシンを作ったと思っている。賞に値するだけの努力をした と思っている。会場の観客、そしてテレビを見ている人々には分からない。なぜあんなのが技術賞もらうの? と思うだろう。ここに線がある。これが努力をした者と見ている者の違い。どうしようもないこと。見ている 者にも努力が分かるような試合をすればいいだけの話でもある。それが簡単に出来ないからロボコンなのだ。 全国はならなかった。当然…分かっていたことだ。吹っ切ったつもりで、ロボコン2000近畿大会閉会式を終わらせた。 表彰式の前から「マシンにタージンのサインを貰おう!」と言っていたので、戻ろうとするタージンに声を かけてサインを頼んだ。タージンは快くOKしてくれた。タージンは我々を見ただけで「とうじろう」チームだ と分かってくれて、「残念やったなー」と言ってくれた。さすがタージン。ピットに戻ると、すでにサインを する場所が用意されていた。上昇部の取り付け板だ。時間があったら削るはずだったところがこんな所で役に 立つとは。マシンにサインをしてもらい、一緒に写真を撮った。その後タージンはサイン責めに。ピットまで 連れて来ちゃったからな…。みんなトレーナーの背中にサインをもらっていた。俺はなんだかもらう気になれ なかった。さて、その後は片付け。 会場を出て、恒例のトレーナー争奪ジャンケン。激しい争奪戦の末、廣瀬と(もう1人誰か忘れた)が今年の トレーナーを手にした。そこでNHKの山田さんと遭遇。お世話になったお礼を言い、来年もよろしくと伝えた。 山田さんは大会の結果を知らないらしい。さんざん期待していますと言われただけにやりづらい。帰宅部隊は 学校でマシンを搬出するグループと直接帰るグループに分けた。俺はバスの時間の関係もあって直接帰宅の方 にいれていただいた。松田さんもいて、帰りも大変盛り上がった。どんなことを話したのかはあまり覚えては いない。みんな疲れていたので、ハイなテンションも長くは続かない。松田さんと色々話をした。とても先輩 らしい大きな姿に見えた。
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